2011年3月12日土曜日

「緊急報告」(2011年3月)

3月11日。羽田15:00発の岡山行JALの搭乗口の待合ロビーにいました、既に搭乗が始まっていました。ベンチの隣のおじさんの「貧乏揺すり」うっとうしいなーと、席を替わろうと立ち上がってもまだ揺れている。
「地震?」
 今まで経験したことのない、ものすごい横揺れ。立っていられない。一部の天井板がはずれ、コンクリートの破片がパラパラ降ってきました。TVのモニターや、案内掲示板が大きく揺れています。窓からは空港スタッフが足を踏ん張って立っているのが見えました。携帯電話は即刻通話不可能。第2、第3の大きな余震。ついには縦揺れも起こりました。
しばらく後にTVモニターでは東北各地の津波の映像が生々しく。これって日本の事?
ロビーの全員が固唾を飲みながらTVモニターに見入っています。
 結局1時間半遅れで羽田を飛び立つことができました。窓からは不気味な雲が見えました。
 私は僅か3時間前には茨城県水戸市にいました。そして40分前に羽田に着きました。
不謹慎な言い方ですが、少しでも時間がずれていれば電車かモノレールの中に取り残されていたかと思うと、幸いに感謝すると同時に、今でも身震いします。
カリフォルニアの友人からお見舞いの電話が入りました。同地でも今朝1メートルの津波があったそうです。
 今は3月12日12:10PM。まだ体が揺れているような感じがします。
 今後2次、3次の災害が広がることが予測されます。被災者の方には心よりお見舞申しあげます。そして何かできることがないか考えてまいります。
 緊急報告いたしました。
(2011年3月12日 片山芳孝 記)

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