2011年12月31日土曜日

「2011年 1年間お疲れさまでした!」(2011年12月その2)

3月の大震災、原発事故、9月には西日本に台風被害。
 歴史的な円高、世界中に影響を及ぼしている欧州の経済危機。
 何にもしない、何にもできない日本政府……。本当に疲れました…。

 そんな中で、少しでも笑顔になれたタイガーマスク現象、なでしこJAPANの大活躍、世界中から支援が届いたトモダチ作戦。人間も捨てたもんじゃない!
 そうそう7月には私の部屋のテレビが映らなくなっちゃった!我家の奥さんの部屋はいち早く地デジ対応しましたが、私の部屋はテレビ止めました。読書量と溜まったCDを聴く時間が少し増えたかな?

 我社では夏のある期間、米を切らしてしまいました。レストラン等業務用を欠品するわけにいかず、一部量販店の店頭から我社の米が完全に消えてしまいました。大変ご迷惑をお掛けしました。「売る米が無い!」初めての経験です。
 一方食品メーカーさんへの原料米は、お陰様で前年を超える量を出荷させて頂きました。新規の蔵元さんも数軒ありました。有難いことです。

   そしてなぜか例年以上に忘年会のお誘いが多かった年末です。某ビールメーカーの忘年会に日本酒を持ち込み、「ビールが売れんじゃないか!」と苦笑いされました。
 何年か前のサラリーマン川柳を思い出しました。
 「体脂肪 燃やして発電 できないか」

 1年間大変お世話になりました。心より御礼申し上げます。頑張ってくれた社員各位にもお礼を言います。ありがとうございました。
 2012年が輝かしい一年となりますようお祈り申し上げます。

(今夜は珍しい「柳蔭」を頂きます。2011年年末 片山芳孝 記)

2011年12月21日水曜日

「立川談志さん追悼」(2011年12月)

11月21日に落語家五代目立川談志家元がなくなって1カ月。私(片山)は11月21日に出張先のホテルで訃報に接しました。足が震えたのを覚えています。落語大好きの私は、特に談志さんが好きで、と言うか談志さんしかない!というほどです。CD,テープ、ビデオ等の音源、映像は100を超えるほど、また書籍も数えると10冊以上持っています。数年前には、大阪で高座を見て翌日には岡山でと、追っかけのような時もありました。その両日ともに演題は「文七元結」でした。
 声が出ずらくなったこの1-2年は聴くのが辛くなるほどお気の毒でしたが、洒脱でちょっと毒のある言い回しはさすがでした。「文七」「芝浜」等の人情噺はもちろん、「二人旅」「松曳き」等の滑稽噺でも談志さんを凌ぐ落語家はいないと思っています。
 追悼番組で、談志さんが師匠の「柳家小さん」の前名である「小三治」を名乗りたいと言っていたことを知りました。「小さん」になった談志さんも聴いてみたかったですね。
 私の部屋には沖縄の空港で偶然出会った談志さんとのツーショット写真が飾ってあります。今となっては宝物です。ご冥福をお祈りします。

 米の世界では震災以降の西日本銘柄米の不足、高値のまま越年しそうです。今年ほど当地岡山の米「アケボノ」に全国から引合いを頂いた年はありません。 ほとんどご期待に添えず申し訳ありませんでした。産地の米卸として情けない思いでした。
 作況指数は101と発表されており、米が足らないはずはないのですが、8月後半の低温、9月のふたつの台風での減収が本当だったのでしょうか?でも仮に農家10000軒が10俵ずつ売らずに保有していれば10万俵(6000トン)になります。来春の米価がどうなっているのか、談志さんの言葉「人生成り行き」の様に気楽には考えられない今日この頃です。
 今年もあと2週間。さあもう一踏ん張りだ!!

(今年一番の寒さにはやっぱり熱燗! 2011年12月中旬 片山芳孝 記)

「風流だなぁ~ 2018年11月」

 当地岡山県南は古くは二毛作地帯で、麦あとの田圃が沢山ありました、今でも一部で ビール麦(A社向け)が耕作されています。  その麦作と温暖な気候の関係で全体的に稲作作業が遅く、晩生種の稲刈りは10年ほど前までは「文化の日」がピークでした。      しかし昨今では晩生種の...